重たいインド取材撮影の旅 (平成6年 1994年)その7
そんな日本の田舎のような「秘境」、インパールを案内してくれる力強い人が実はいたのです。しかも日本人です。牧野さんといって、インド・ベンガル地方に在住。マニプール州へは年に何回か入境して農業指導をしているという非常にめずらしい方。そして当時、御歳72歳(だったと思う)という高齢のおじいさんです。
企画の段階から連絡をとって、協力を依頼していました。その方とカルカッタで合流して同行してもらったのです。なんといってもインド人のガイドさんも入境するのは初めてという未知の場所ですからね。心強かったですよ。
インパール市街地へ入ると様相は一変します。レンガやトタンでできたバラックのような粗末な家々が立ち並ぶ「街」です。雑踏や車両の交通量もかなり多くなります。そして市街地への入り口あたりには検問所のようなところがありました。小銃を構えた数人の兵隊さんが歩哨しています。土のうの内側にはなんと!重機関銃を構えた兵隊さんまで!!その兵隊さんの服装というか「なり」がすごいんです。黒っぽい軍服というより戦闘服で、頭にはやはり黒色の布を巻いて後ろで縛っている。兵隊というより「ゲリラ戦闘員」という様相です。
一瞬、「ゾッ」としましたね。ガイドさんが、「あ、検問所とか撮影しないでね。撃たれるから。」とさりげなく言いました。そういうことは早く言え!ってまあ、ちょっと恐ろしくて撮ろうとは思わなかったですけどね。
街中の繁華街?も一応ありました。露天のようなお店がいっぱいあって、いろいろなものが売っています。お昼には街には数えるほどしかないレストランへ。牧野さんのおすすめのお店だそうです。確かレンガづくりで、なんとなく西部劇に出てきそうな酒場のような暗い雰囲気。メニューなんてなくて、牧野さんが適当に頼んでくれました。焼きそば・焼き飯・淡水魚(たぶんナマズ?)のフライ・・などなどでした。もともと食べ物は全く期待していなかったし、現地で飲食できるかどうかすらもわからなかったですからね。非常食をいっぱい持ってきたくらいです。だからこの料理は、もうごちそうですよ。結構日本人の口に合うものでした。ミャンマーの料理に近いかも。
時差の関係で、ここはミャンマーに近いのにインド時間を使っているから、日が暮れるのが早いんです。夕方5時にはもう暗くなってしまいます。早々に取材・撮影を終えて、ホテルへ帰ります。(夜は危ないですからね)
ホテルは鉄筋レンガ造り?3階建で潰れかけたビジネスホテルのような建物です。電力事情が極端に悪いので停電が多く、たしか夜8時には電気が停まってしまうのです。一応ホテルの方で、自家発電機で照明などは点くのですが、前触れもなくいきなり真っ暗になったりします。シャワーは一応お湯は出るという説明だったんですが・・・出ませんでした。日中は30度くらいの気温で暑いのですが、日が暮れると0度くらいまで下がるので、寒いのなんの・・それでも、かなり砂ぼこりをかぶっているので、シャワーを浴びたのですが、冷たくて「滝行」をしている気分でした。
夕食はホテルで出してくれます。お昼に食べたものとあまり変わりませんでした。料理のバラエティーが少ないのかもしれません。